2009/08/23
≫ [book]夏休みの感想文・ボルト
子供の絵本を奪って読んだ。
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第一印象としては、絵柄が洋モノっぽく中途半端にリアルで正直好みではなかった。しかし、通して読んでみればそれぞれのページで印象的かつ美しい絵が描かれていて、最終的には満足した。もちろんストーリーもちゃんとハッピーエンドで締め括られており、いやな気分になることもないので、家族で安心して楽しめる作品に仕上がっていることは間違いない。完成度の高い作品としてオススメはできる。少なくともオチを知った上で、改めてこれらの絵が動いているところをみたいと思わせる程度には良くできてると思った。
話は完全無欠のスーパードッグ・ボルトの活躍から始まる。ペニーという女の子とともに悪の組織と闘うのだ。ああ、これは冒険活劇物だな。・・・と思ったら数ページで肩透かしを喰らうはめに。ボルトは人気テレビドラマ。彼はただのタレント犬。悪の組織も超能力も撮影用に仕立て上げられたトリック。つまりは全部嘘。しかし、ボルトだけは自分がスーパードッグであると本気で信じて疑わない。なぜなら、飼い主始め周囲のスタッフが「その方が都合が良い」とボルトを真実から遠ざける環境に置いているからだ。これじゃボルトはスーパードッグどころか、道化犬。おだてに乗せられ調子こいてるマヌケ犬。かわいそうなボルト。しかし、大人たちの嘘も長くは続かない。ボルトが勢いあまって撮影所から飛び出してしまったからだ。というのも、ペニーが悪者に攫われて大ピンチ!ってところで収録が終わっってしまったために、ボルトはペニーを助けるべく相当の無茶をしてしまったのだ。その後ボルトはメスの黒猫ミトンズを悪の組織の一味と勘違いして脅し、無理やり騒動に巻き込みながら大活劇。しかし、さすがのボルトも何の仕掛けもない外の世界に出て、自分に隠された真実に気付かないわけがない。ミトンズに諭されて、いよいよ現実を受け入れざるを得ない流れに。自分が普通の犬であると言う受け入れがたい現実にさらされ、うちひしがれるボルトの運命や、いかに?
ってところでなにやら猛烈なデジャヴュ。このパターン、どこかでみたことあるぞ。そうだ。トイストーリーのバズだ。彼も確か自分をヒーローだと思い込み、出生の秘密を知ってへこんでたっけ。人の都合も考えず正義感を振りかざすイヤなところも共通してるな。じゃあきっとボルトも最後は空を飛んで終わるんだ。あーこういうパターンが決まるってことはアメリカではこういう「役割」に共感する人が多いんだな。そう考えると確かに思い当たる節があるわ。向こうはとにかく誉める文化で、特に子供は褒めまくっておだててチャレンジさせて育てるんだよね。確実にクリアできるように練りこまれたプログラムに沿って勉強させ、「全部できるなんて天才だ!」とかやるわけだ。それがボルトの超能力にあたるわけだな。そして、その結果、思春期に理想と現実のギャップに気付いて苦しむことになるんだ。天才のはずの自分がありふれた凡人だったというようにね。ボルトはアメリカのそこかしこに溢れてる、ヒーローになりそこねた凡人の投影なんね。日本のように厳しく接して頭を抑えるのもどうかと思うが、誉めればいいってわけでもないのか。
さて、話を戻す。ボルトは黒猫のミトンズ、ハムスターのライノとともにペニーを探す旅をする。ライノはバカが付くほどお人好しでボルトの親友として着いて行き、ミトンズはボルトに命を助けられた都合で行動を共にすることを決意する。この道中でボルトは社会常識に長けたミトンズから「普通の犬」としての生き方を教わる。ボルトはミトンズの真摯な指導により、普通の犬としての喜びに気づき、スーパードッグの洗脳から解放されていく。こんな暮らしも悪くないと思い始めたころ、三人は安住の街ラスベガスに辿りつく。きっと、ここなら一生を楽しく暮らせるだろう。しかし、ボルトはここで満足せず、ペニー探しの旅を続ける。スーパードッグボルトは虚構だったが、ペニーとの友情は本物だと信じていたからだ。安住の街を見つけたことで一度は分かれたミトンズとライノも彼の後を追う。そして最後には最愛の人ペニーと相思相愛であることを確かめあい、ミトンズ・ライノとともに彼女の家に安住する。
ってことで、無事ハッピーエンド。
僕の中ではラスベガス以降はおまけみたいなもんかな。ハッピーエンドとして終わらせるために付いてるようなもんだと思う。この話で最も重要なのはスーパードッグとしての洗脳からの癒しだと思ってるから。だから、ボルトにとって最重要人物はペニーでなくミトンズ。もし彼女に出会わなかったら、たとえペニーと再会できてもうまくいかなかったと思う。逆に癒しを受けた後であれば、ペニーのことを忘れてラスベガスの街で幸せにやっていけただろうね。結局は身の丈を知ることが大事なわけだから。あと、僕がボルトに感心したのはキャンプ場で餌をおねだりしたところかな。腹が減っては背に腹変えられんとはいえ、スーパードッグが三回廻ってワン的なことができるかなと。なかなかできることではないと思うが。彼はあのミッションの成功で何かをつかんだのではないかと思った。
僕は普段、映画やドラマなどを見ないからわからんけど、子供向けの作品がこの手のテーマを扱うのって日本にはあんまりない気がする。この作品が妙に新鮮に感じだし、少ない記憶で思い当たるのがない。大人向けならいやという程ありそうだけどね。神童と呼ばれた子が都会に挑戦して敗れ去る話とかさ。でも、それは子ども向けには作られてないよなぁ。ああ、厨2病てきなテーマならあるかもなぁ。どうだろう?うーむ、やはりオーソドックスな子供向け作品って、強引に突き進むやつが修行しまくって成功するパターンがたいがいだって気がするわ。こういうのって褒めて育てるのと貶して育てる文化の違いってやつかね。
2009/08/19
≫ [与太]ベースボールの試合でもっともエキサイティングなのは7対6
と言ったのはアメリカの大統領だっけか?
個人的には4対3くらいが好きだな。お互い6点ずつ取り合うなんてグダグダの試合でおもしろくないと思うんだが。というのも、それだけ点が入るってことはエラーや四球が絡んでるに決まってるんだもん。もらった点で勝っても後味悪いし、こういう試合は一般的には乱打戦って言われるよね。
野球は一点を取るための凌ぎあうところがいいんじゃないか。アメリカ人はわかってないなー。
と思っていたが、熱戦の続く甲子園を見ていて、高校野球では確かに7対6くらいが一番面白いことに気付いた。なるほど、一発勝負ではミスが付き物だし、個人技では防ぎきれない失点が少なからずあるからね。それを取り返すためのチャレンジを見るというのは趣があるわ。
2009/08/12
≫ webよ、こんにちは
生存確認。
2009/05/29
≫ [pen-chan]webよ、さらば
更新が停止されてから3ヶ月が過ぎようとしてます。そろそろ見切り時ということで、自前の専用サーバからは撤退することにしました。もうwebで何かをごそごそすることはないでしょう。この日記も更新する機会はほとんどないだろうから、畳んでしまおうかと。・・・思ったわけですが、長年使った独自ドメインのメールアドレスを捨てるのは惜しいので、さくらの共用サーバくらいのスペックは維持することにしました。ってことはwebスペースがついてくるので、日記は生き残りと。
プログラムもこれからはほとんどしないでしょうね。もう、できる環境ではありませんから。自分なりなハックくらいはするでしょうけど、この数ヶ月、ほとんどwebにタッチしてないので、そういう必要すら生じないでしょうけど。
まぁ、そんな感じでおさらばなわけです。
2009/02/12
≫ [雑感][教育]読書感想文をやっつけろ
夏休みの宿題の定番、読書感想文。苦しめられた人も多いでしょうね。
近頃ではその感想文の模範解答を掲載したサイトなんてのがあったりして、ほうぼうで問題になってるそうです。なにしろ、「宿題感想文での利用に限りコピーフリー」なんだから、平たい話、写せばいいだけなんすよ。いい時代になりましたね(違)。
こういう問題ってのは、それぞれ事情があってやってるわけで、相手の立場になって気持ちを考えればわかるんじゃないの?と思いました。
まず、子どもから。
大人たちが過去の経験から感想文に対して持っている意見の中で、否定的なものとしては「書きかたを習ってないのに書けるわけない」「好きでもない話を読まされてるのにつまらないと書くと怒られる」といったものがあるようです。前者は「感じたとおりに素直に書きなさい」としか教えてくれないことでして、後者は「本音を書くと怒られるから嘘を書くことになる」ことですね。前者については周囲の大人でもいいから型にはまった書きかたを教えればいいんですけど、後者についてはちょっと周囲のサポートじゃ解決できませんよね。つまり、できるようになるまで手伝ってあげることができないわけです。
もし、本の内容に納得がいかない子がいたらどうなるでしょう?
- 嘘つきになっていい成績を取る
- 本音を書いて親と先生から怒られる
- 提出しないで先生に怒られる
- コピペして提出する
どの道を通っても悪者にしかなれないんじゃないでしょうか。同じ嘘つきなら、せめて友達受けのいいコピペを取ろうと判断しても不思議じゃないと思います。思ってもいない言葉を綴って友達から嘘つき呼ばわりされるよりは、「俺の意見じゃないから知らね」と言い訳しながらコピペを提出したほうが、精神的には楽なように思うからです。万が一いい子を演じたことがきっかけでいじめられたら大変ですからね。子どもだって子ども社会の中で合理的に行動してますから、ただ楽をしたいだけでコピペしてるわけでもないと思うのですよ。
次に先生側。
なぜ、先生は感想文なんて課題を出すんだろう?
大前提としてあるのは、「学校とは必要最低限の知識を最小限の予算で平等に実施する機関」なんだってこと。最小限の予算ってところが肝心で、言ってしまえば安かろう悪かろうです。安さを追求するために常に効率が優先されていて、「子どもが伸びるため」の子ども中心な方針ではなく「教員が効率よく対処できる」学校中心な方針が取られてるんです。おそらくですが、授業料が増えることを受け入れられるなら、感想文なんぞに頼らなくても面白おかしい学習ができるでしょう。ひとクラス40人とかですからね。効率悪いことしてれば先生がパンクしますよね。感想文40人×4枚読むのも大変でしょう。
なぜ効率を取ると感想文が出てくるか。先ほどの前提を元に僕が勝手に感想文の狙いと先生の気持ちを道引き出してみました。
- 古典的な名作を読むこと
- 長い文を読むこと
- 長文を要約すること
- 引用した文章に合った応答ができてること
- 接続詞や助詞の使い方があってること
- 漢字や原稿用紙の使い方があってること
- 健全な精神が育めていること(笑)
感想文を読むだけで、これだけの項目がチェックできます。もちろん、それぞれの項目を分けてしまえば宿題の難易度は下がりますが、そのかわりに宿題の量がn倍になります。そして、それをチェックする先生はさらにその生徒数だけ倍だけ仕事が増えます。
健全な精神って何だよって話ですが、先生はそれぞれの生徒の性格をつかむ必要があるんですが、なかなか個別に生徒とやりとりする時間が取れません。個別面談なんてやったら大変なことです。社会人でも忙しい人はメールで時間に縛られずやりとりするように、先生も作文でやってしまいたいのです。この「生徒の価値観を知る」ということは、おそらく熱心な先生ほどその傾向が強くて、そういう人ほど「感じたとおりに素直に書いてください」と指導すると思います。そして、熱血先生だからこそ、ネガティブな反応に難癖つけるのです。「怒らないから正直に話なさい」と言うから話したら怒られたって経験を持つ人は多いと思いますが、あれのメール版みたいなもんですね。
感想文に対する意見に「好きな本ならいくらでも書けるのに!なんで定番の古典的な名作や課題図書が指定されてるんだよ!」という意見がありますが、これも先生の都合を考えればわかります。学校というのは最終的に成績をつけなきゃいけませんが、それにはある程度の基準が必要です。読んだこともない作品だと採点しようにも「できてるのか・できてないのか」がわかりません。読んだ作品で採点にバラつきが出るのを防ぐため、先生が話の筋くらいは知ってる作品という意味で古典的な名作や課題図書が指定されます。
僕はこの通り妄想しましたが、感想文なんてきっと、すっごい大人の事情から出されている宿題なんだと思います。
これで先生の都合はわかりましたので、あとはその事情を考慮しながら手順を導き出せばいいわけです。熱血先生には困ったもんですが、目的があってそれを採点するからには答えがあります。先生はわざわざ言いませんけど、学校で習うことには全て型があります。そんなものがまったくないとすれば、成績管理ができない無駄な課題を出しているということですから、それこそ問題です。先生も無駄な課題を出して仕事を増やすような真似なんてしません。ですから、先ほどの「狙い」が満たされるよう、逆算して手順を決めればいいんです。
といっても大層なものではなく、「最初に要約したストーリーやテーマを書いて、あとは引用しつつ適切な応答をする」というオーソドックスなやり方なんですけどね。小学生が普段やっているあれでいいんですよ。それで最低限マスは埋まりますから、機械的に処理して「やっつけ」ればいいんです。あとは引用に応答することですが、これは文章によるコミュニケーションで齟齬を起こさない程度の力があるかを調べるための項目ですから、因果関係があっていれば問題ありません。あくまでロジックの問題で善悪の問題ではありません。例えば、叱られたときの反応は嫌な気持ちになるのが普通で楽しくなるのはおかしいです。叱られて楽しくなるなんて変な話ですから、そのときは何故楽しくなったかを説明できればそれでいいはずです。
それでも解決しないのが嘘つき問題ですね。本来なら、ロジック以外の部分で難癖付けてくるようなら先生の頭がおかしいわけですが、そこを敢えて突っ切ってくるのが熱血先生ですからね。僕が思うに、感想文で直接反論しないで、どこかにワンクッション置いて遠まわしに矯正すればいいはずなんですけどねぇ。そうはいかない事情があるんでしょうか。せめて、もうちょっと煽り耐性付けられませんかね?おっと、愚痴を言っても熱血先生は消えてくれませんから、ここは一つの提案として、作品のテーマとして往々にある激しい感情のやりとりや、人それぞれの価値観みたいな、登場人物にとっての主観的な部分をすべて無視するってのはいかがでしょうか。例えば、作品に出てくる食事や情景や時代背景などに徹底的にフォーカスを当てるとか、自分が好きな漫画で例えるなどして、自分が最も得意とする分野に強引に舞台を移しながら、くれぐれも登場人物の気持ちに対して反応せぬよう、自分の想像力を駆使して徹底的に自分語りしてしまうのです。ダメですか?
個人的には課題をわけるのがおすすめなんですけどね。ブクマみたいに2000文字程度の文章を100文字以内で要約したり感想書いたりするのを100回くらい繰り返せば力付くと思うんですけどね。少なくとも感情や価値観を表現したり本音と建前を使い分けることは国語教育とは分けたほうがいいと思うのです。「将来的には社会で本音と建前を使い分けて生きることになる」とか言われますけど、それと国語能力とはまったく別物ですから。日本では日本語話者がほとんどだから、それでも成り立ってるんだろうけど、本来は別であるべきですよね。まぁきれいに嘘をつくテクニックについては教えてもいいとは思います。例えば、自分の好きな何かを人に勧めるために「いかにそれがすばらしいか」を嘘ではないギリギリの線で紹介するような課題とか。怪しげな商品広告にひっかからない判断力も養えますよ。
僕が子どものころにコピペサイトがあったら、きっと使ってたなぁ。感想文はかなりの確率で未提出で、おかげでいつも国語の成績は2か3だったからなぁ。え?原因はそこじゃないって?・・・この文の文章力を見ればバレますわなw。

◆ ゴッド企画 [なるほど。ミスとかアクシデントをあまり描かない、野球漫画の場合は4対3で丁度いいのかも。 上杉達也が6点取られるの..]
◆ nemuri [多分3対2が好きです。 「投手戦」って言えるような投げ合いの試合は、2対2までだと思うんですよ。 そして3点..]