2008/03/01
≫ [suisen]少しだけテストが書けた
最近話題にしてないけど、ちょっとした処理の改善をするに伴ってテストを書いていた。ほんの200点程度のテストなんだけど、すっげー骨が折れる。マジ逃げ出したくなった。テストデータつくるのが辛いのなんの。
おかげでこれからの変更を自信もってできるようになったし、テストのコツもつかめてきた。
で、今日trunkにマージしたんだけど、なぜだかテストが通らなくなってる。ヒドス。
2008/03/03
≫ こうですか?
私は隠れはてなー(ダイアラー)なんだけども、最近同僚のはてなーの人(ブックマーカー)が雑談してくるのがイヤなんだ。別に普通の雑談ならいいんだけど、その人はまったく隠していないはてなーでPCの壁紙もしなもんだし、大きな声ではてな系の話をしてもまったく恥ずかしくないみたい。でも私は恥ずかしいしそういう話を職場でしたくないし聞きたくない。
大声で「はまちちゃんがさあ」とか言うのやめて!!!こっちが気のないそぶりで「はあ、こんにちはこんにちは!の人ですよね。どこがいいんだか私にはわからないな…」と言っているのに、ここがこういいんだ!!といって熱弁を振るうのはやめて!こないだオフ会に行って…とか死ぬまでに一度1000ブクマされたいとかそういう話もやめて!アナタ40すぎてて妻子もいるのよ! 聞いてるだけのこっちのHPがすでにゼロよ!><
私がオタク気味だってことはわかっていてこの人ははてなの話が出来る人なんだ!と思って、それで話を振ってるんだろうけど困ってる。はてなの話をするなら普通に私にははてな友達がいるからその人たちとしたい。しかし向こうは150くらい被Fav上なわけで、「貴方とはてな話はしたくないんですけど」とかも言えない。一生懸命引きつった表情で「話したくねー!」オーラを出してるが空気は読んでもらえない。どうすりゃいいのさー!
2008/03/05
≫ 人間は理屈じゃなく感情で動くという話
fromdusktildawn氏は毎回やってくれますな。人間は理屈じゃなく感情で動くという趣旨の話を書いてるんだけど、このエントリの最大の見所はこのエントリ自体がそれを証明していることじゃないかと思います。というのも、
「いじめる人たちは純度100%の悪の加害者で、自分は純度100%の正義の被害者だ。」みたいな論調で「辻褄のあった物語」を語る被害者は、例外なく、あとから被害者に都合の悪い事実がわんさか出てきました。とくに今回のreponさんのように、「ぼくは、ボクの後輩たちを守るためにこんな酷い会社に残ったのだ」、「ぼくは、正義のために戦っているのだ」と、自分が正義のヒーローだと臆面もなく言う人は、たいてい要注意でした。
などと、勝手な憶測でrepon氏を痛烈にDISってるにも関わらず、それに反発するようなブコメが出ていないのです。あのエントリと一連の話の流れを追っていたら、普通の人はこんな憶測出せないですし、反発もくらいますよね。それが出ないということはfromdusktildawn氏は自分の意見と反対側にいる人を中立的立場にまで引き寄せたということでしょう。
介護の業界には「説得より納得」という言葉があるようです。混乱している認知症の老人には言い聞かせる説得を試みるよりも、納得してもらって落ち着かせた方が言うことを聞いてくれるそうです。
#ところで、パワハラやイジメの被害者を助けようとしたときのエピソードって本当に実体験?
2008/03/06
≫ [suisen][devel]反省
やっとちゃんと動くようになった。原因はテスト項目の不足。テスト環境では(手動のテストも含めて)幸運が重なって動いてしまったので気がつかなかったことだ。ただし、原因究明が遅れた原因としてDBのマイグレートがいい加減だったことも二次災害的に関わってた。はい、マイグレートはカラムの整合性を保てばいいだけじゃありません。ちゃんとデータをコンバートするような仕組みをつくっとかないと。手動テストは本番データを開発環境で再現させて処理せんといかんね。
まだユーザがいない状態だからよかったものの、本当に動いてたらえらい目にあうところだった。
2008/03/07
≫ Railsを使うことによって得られるスキル
ここ最近、ネットのどこかで「Rails、Railsって言ってる奴らは一度自分を見直せ。ajaxなんて5年後にはないかもしれんぞ」みたいな話を見た。Railsの良さってのは開発期間が圧縮できて、今まで手が届かなかった上流工程が見えるようになったことだよね。逆に言ってしまうと、上流工程に挑めずに「組んでるだけ」な存在で終わってしまうならRailsをやる意味ゼロなわけで、確かにフレームワークとしてのRailsに捕らわれすぎてる人にとっては件の指摘も頷けるかな。
Rails使いにとって大事なのはRails自身じゃなくて「webで何ができるか」ってとこにあって、これはRailsやajaxよりも寿命が長いと思うんだ。Railsはなくなってもweb開発が消えることってなかなかないよ。
いったい何周目の話をしてるんだ?って感じだけど、webサービスの運営において、開発なんてほんの2割ほどのウェイトしかないわけだから、Rails使って小さいサービスをいくつか作ってみて、より広い視野で開発できるようになれればしめたもんだと思うけど。うん、そうだよ。Railsで複雑なもん作ってもあんまり身にならない。特に若くて野心のある人はRails使ってたくさん練習すればいいと思うな。
2008/03/08
≫ [book]とうさんまいご: 五味 太郎
図書館で借りてきた。すっげー面白い。
お父さんと一緒に出かけた子供がデパートで迷子になってお父さんを探すお話。迷子になってるのは自分なのに父さんが迷子だと思い込んでるのがおかしくてたまらない。父さん、見つけた!と思って近づいてみると良く似た別人だったりしてなかなか見つからない。あるあるw。こんな経験自分にもあるわぁと懐かしくなったり。
この本が出たのが80年代ということなので、迷子の子はほぼ同世代にあたるのかな。良く見るとデパートの売り場のようすなどが自分の子どものころの記憶にぴったりで余計に懐かしくなる。売り子や客などもしっかり描き込まれていて本当に見てて飽きない。そうそう、あのころはこんな格好してたっけ?
この本、小さい子のいるお父さんたちなら、きっと楽しめると思うよ。というより、お父さんのほうが楽しいと思う。
もう一つ、いいなと思ったところ。この手のしかけ絵本って、しかけのために読みやすさが犠牲になってたりして残念なことが多いんだけど、めくりやすさや読みやすさを損なうことなく面白さを出せてる。
久しぶりにヒットした絵本でした。
2008/03/09
≫ [雑感]他人に受け入れてもらおうと思うなら外見に費やすひと手間をおろそかにしない方がいいですね
先日ネタ系の過去ログを読み返して見ました。冷静に読んでみるとホントくだらないことばっかり書いてますね。一人だけで面白がってるオーラがバリバリ出ているあたりには痛々しさすら感じます。たぶんネタの視点そのものはそれほどひどくはないと思うんだけど、空回りというか上滑りしまくってて面白さがちっとも伝わってこないわけですね。まぁこれは僕が面白いこと言えるような人じゃないところが問題なので諦めることにしまして、それ以上に問題だなと思ったのは、とても偉そうな書き方をしているところです。これは書き方の問題ですから少しの手間で修正できるはずです。単なる作業メモならともかく、せっかく長々と文章を綴るわけですから些細なことで読まれなくなるというのはもったいない話ですよね。たとえそれが読まれることを期待しないで書かれたものであったとしても。
ということで、この話ではさっそく柔らかい表現を心がけているんですけど、悩みどころが3つあって
- 箇条書きやメモのような事実を淡々と書く形式とは相性がよくない
- タイプ量が多くなる
- いつも箇条書きから文章を組み立てている
といったところでしょうか。1は元来ここは作業メモなので、技術的なネタはやっぱり淡々と書きたいです。そういうネタと混じっちゃうと違和感があります。混じるのがイヤなら引っ越して他所でブログとして書けばいいのですが、僕はズボラな性格ですから2つの日記を管理できなくて共倒れにしちゃうことでしょう。2は結構負担が高いですね。そんなにたくさんタイプできる体力を持っていないので。そして3にもつながってくるんですが、僕はいつも文章を組み立てるとき、箇条書きから始めます。思いついた事を要点だけ書き出して、なんらかの結果がまとまったら順番を並べ替えたり文章をつなげたりして一つの文章にします。そういうスタイルですから最初に感じたことと結果がまったく違うなんてことだってザラにありますけど、それはそれで面白いです。ただし、いろいろ考えながら捏ねくりまわすので文章を繋げるところで失敗すると文のリズムがむちゃくちゃになって全部の語尾を変えなくちゃいけなくなりますから、手戻りのことまで考慮すると、タイプ量が尋常なく増えるのです。ちなみにこの文章は箇条書きにしないでダラダラ〜っと思いつくまま書いていますから、話の辻褄があってないかもです。白い紙にいきなり書けちゃう人は尊敬しますわ。
これだけで終わるのは寂しいので、ちょっと普遍的な分野に応用した話題をしておこうかな。やっぱり、他人に自分を理解してもらおうと思うと形を整えておかないと損しますよね。悲しいかな性格が良くても身だしなみがいいかげんだと話を聞いてすらもらえません。ネクタイが仕事してくれるわけじゃないですし、おしゃれさで人柄がわかるわけじゃありませんが、最低限のことは必要なんだなと思ったわけです。その「ひと手間」に意義を見つけられなかったとしても、見えないところでいい仕事をしてるかもしれません。ほんの少しでもそういう気持ちになれたのは日記を書いたり読み返したりしたからこそ気付けたわけで、自分を客観的に見るためにも日記は悪くないな〜と思った次第です。折衝とか合コンとか、そういうのがうまくいかないな〜なんて思う人は、その様子をビデオに収めて後で振り返ったりすると何故ダメだったのかわかるような気もしますね。
ところで、この日記では原則一人称は「私」で通してるんですけど、これを使っちゃうととても堅くなっちゃうんですよね。ということで、フリースタイルの記事はしばらく「僕」でやってみようかなと思います。
2008/03/10
≫ [雑感]できる人とできない人の違いってほんの小さいところにあるんじゃないかな
前回僕は少しでも自分の文章を気持ちよく読んでもらおうと思って文体を変えてみることにしました。この方針転換は外から見ればほんの小さなことですが、それでも良い方に転がると思ってます。もちろん、そうすることによって僕は相応の負担を支払わなければならないのですが、逆に言ってしまえば、その負担で良くすることができるわけです。そう考えると、実のところ問題の大半は少しの手間で良くなるとわかっているのに、その手間がかけられなくて生じているのかもしれません。世の中にはおそろしく良くできる人がいますが、そういう人ってこういう小さい手間を手間と思わずうまい具合にカバーしてるんですよね。逆にできない人はわずかな労力を惜しんで「そこまでして○○したいとは思わないし」と言い訳しながら機会を逃してしまったり。
僕がこの日記を始めた理由は「作業メモをHDDの肥しにするのはもったいない。少しの手間で公開できるんだから、その手間くらいは惜しまないようにしよう。」と思ったからです。そういう意味では僕は得た知識を独り占めしている人と比べれば多少はデキているのかもしれません。でも、せっかく公開した情報も人目につかなければ出さないのと変わりないことになりますし、せっかく読んでもらってもわかってもらえなければ却って悪い結果になってしまうことになります。そういう意味ではできる人には、まだまだ程遠いですね。「わかる人だけわかればいい」「欲しい人は勝手に持っていって自分でなんとかしろ」という考えから脱却できたとき、はじめてできる人になれるんでしょう、きっと。
同様に、ホッテントリの常連になるのはそんなに難しいことじゃないような気もします。もちろん自分の心に嘘をついてまでホッテントリ入りを目指すのはバカバカしいことですが、そういうことをしなくても周到に調査と準備をすれば手ごたえを掴める機会はいくらかあるんだと思います。これについても僕はブロガーと呼ばれるよりはプログラマーでいたいからなんてもっともらしい言い訳をして逃げています。そんなのただの言い訳で、何かの間違いでそっちの方で有名になっちゃってコードを書くよりずっと簡単にお金になるようなら、プログラミングなんてそっちのけになっちゃうに決まってます。僕の意思の強さなんて、きっとその程度しかありません。
結局のところ、できる人とできない人で差がつくのは技術的な面ではなく、貪欲さなどの心の力で出るのかなと思います。まぁ、そういうところも含めて実力だと言われればそれまでなんですが。
#ちょっと蛇足になりますが、じゃあ、できる人を育てるにはどうすればいいんでしょうね。この通りなら心を鍛えなければいけないということになりますが。技術面は勉強で鍛えられるのですけれどね。こんなこと考えてるあたり、僕はやはりゆとり教育推進派のようですね。ゆとり教育は子供にばかりゆとりがあって大人にゆとりがなかったのが敗因で、方向性としては間違ってないんだと今でも思いますよ。
2008/03/11
≫ [雑感]最短ルートか回り道か
僕がここに技術的なメモを書くときに心がけていることが1つあります。それは成功までの最短ルートではなく成功までの紆余曲折の試行錯誤をできるだけ書くことです。特に初心者が陥りやすい初歩的なネタほど詳しく書くように心がけています。なぜなら、初心者にとって最も重要なのは「どういう問題に遭遇したときはどう切り抜けるか」のノウハウを得ることだと思っているからです。ノウハウというのは経験から来る勘どころという要素が非常に大きくてなかなか言葉では説明できません。言葉で説明できないとなると教えるのは非常に難しいので、ついつい答えだけを教えてしまいます。これはいけません。答えを写したのなら正解してるに決まってます。そして、その結果初心者はそのまま初心者でいてしまうのです。
紆余曲折があると正解だけを知りたい人には冗長で読みにくいものになってしまいますが、それを捨ててでも途中経過を書く価値はあると思ってます。意地悪して教えてやらないなんてことをしなくても、書いてあればいろんなキーワードが目に入ってきますから繰り返しやってるうちに覚えてくるんではないっでしょうか。いずれにせよ、成功例通りにやって動くのは当たり前なのですから。
こういうことを思うと、成功したことよりは失敗したことの方が価値があるのかもしれません。
2008/03/12
≫ [雑感]ブロガーがうっかり失言で炎上してしまうのは
僕はブログの世界では往来する人すらほとんどない辺境の地の住人ですが、それでもたまには訪問者の反応を感じることがあります。もちろん僕もその気配を感じてどこがどうよかったのか考えたりするのですが、これがおかしなことに時間をかけて考えて「狙った」ネタほどスルーされて、無欲で何気なく書いたことほど反応があったりします。最初はそういう反応にとまどったりしましたが、自分の気持ちの揺れを素直に表現することで、読者の気持ちも釣られて動くんじゃないかと思うようになりました。僕もいろんなブログを読みながらブックマークするのでわかりますが、心を大きく動かされたエントリはブックマークする確率が高いですし、逆に非の打ちどころがないくらいに理路整然とした話は納得できるものの手が動かなかったり。そういう経験からも身体というのは心が動くことで動くんじゃないかと思うわけです。
じゃあ、それがわかった僕はどうするかというと、できるだけ心を縛らずフリーにして感じたことをそのまま書くわけです。その方が反応が感じられて楽しいですし。それで反応があると、さらに考えることよりも感情を優先して書くようになり、最後にはうっかり失言して炎上させてしまうわけです。案の定、僕のネタ帳にはさっそく感情グラグラの突っ込みどころ満点なネタが何点か溜まっちゃってます。幸いにも僕はアクセルが壊れちゃってるのでうっかり推敲して思いとどまってしまったのですが、ブラウザに直接書くタイプだったら夢うつつのまま送信ボタンを押してしまっていたでしょう。羊水が腐るとかの失言がありましたけれども、あれはこういうアルゴリズムで発生しちゃったのかもしれないですね。
それでなんとなく思ったのは、俗にいうスイーツ(笑)たちがケータイ小説に感動していることについて冷やかしたりする話もありますけど、ネットで話題になってるネタを見まわすと、結局のところはみんな共感を欲しがってるのかなぁなんて思いました。
≫ [雑感]攻めと守りのバランス
僕は日中の間を福祉施設で過ごしています。今日はおじいちゃんたちが将棋を指して勝った負けたと楽しんでました。おじいちゃんたちが言うには将棋は守りながら攻めなきゃいかんのが難しいんだそうです。僕は将棋はやらないのでわかりませんけど、人の生き方なんかに例えても似たようなものじゃないでしょうか。
僕はいろいろあって、とても内向きで暮らしています。将棋で言えば守りです。人生の大半を守りっぱなしでいる僕にとっては外交的でどんどん外に出ていける人はとてもうらやましいです。ところが世の中には僕とは正反対な人だっているわけです。私はそういう人になれたらな、なんて思うのですが、案外外交的な人が僕を見ると、人の視線を気にせずに自分の興味の赴くままに趣味に没頭できるところをうらやましがるのかもしれません。
そういえば、高校の頃に普段接点のない同級生のイケメンから変な質問をされたことがあります。ちょうどその時期理系クラスに進むことに決めた僕はクラスで唯一仲良くしている友人と来年も同じクラスでいられることが確定していたのです。イケメンの彼はそのことについて「来年も○○と同じクラスになれてうれしい?」と聞くのです。なんかの罰ゲームかとキョドりながら「うん、もちろん。だけどなんで?」と聞き返すと、彼には「一緒にいるだけでうれしくてもう一年同じクラスで付き合いたいと思える友達がいないんだ。そんな友達がいるなんてうらやましいな。」と寂しそうに答えました。そんなわけはないだろうと彼と普段仲良くしている人たち(女の子も含めて)の名前を出して「彼らは?」と聞いたのですが、「そこまで言うほどじゃないんだ」と答えました。まぁその話は今思い返しても贅沢病だろ?でFAだと思いますが、人それぞれに苦しみというのはあるんだなと。
ところで、内向きと外向きは理性と感情とも言えるんじゃないかと思うのですがいかがでしょうか。内向きな人にとっては理屈をどんどん突き詰めていくことが大事で、そこに感情が入ってしまうのは邪魔でしかありません。逆に外向きな人にとっては感情をどんどん揺り動かしていくことが大事で、そこに理屈が入ってしまうのは邪魔でしかありません。攻守のバランスがとれてる人というのは、うまい具合に理性と感情を同居させることに成功しているんだと思います。サッカーのテレビ中継を聞いていると、毎回のように「頭はクールに、心はホットに」と言う言葉が出てきますが、つまりはそういうことなんでしょう。
じゃあ、攻と守をどうやって使い分ければいいのかな?と考えると、ブログというのはとても攻守のバランスが取れたツールなんじゃないかなと思います。自分を突き詰めていく過程を晒すことで守りながら攻めることができるのですから。
2008/03/13
≫ [雑感]読むことの気持ちよさ
僕が通っている福祉施設のおねーさんはこの日記のことを知っていて、ときどき読んでくれています。彼女が言うには最近日記の内容が読みやすくなったんだそうです。そこでねちっこく「どのへんがどうよかったのぉ?」などと突き詰めてもよかったのですが、僕はヘタレ君なので華麗にスルーしてしまいました。少し後悔が残りますが聞かないほうがいろいろ妄想できて楽しいのです。
普通に考えれば技術的なネタが減ってフリースタイルで書くことが増えたのでおねーさんにはわかりやすいネタが増えたからなんでしょう。しかし、妄想は自由なのでここは都合よく文章のスタイルを変えたからだと曲解してみます。実のところ文体を変えて以来、自分で読んでみても読みやすくなったと感じるのです。同じ人が同じような内容を書いているのに読みやすさが違うというのはどういうことでしょう?
僕は今まで丁寧な言葉で書くことは読み手の心理的障壁を下げるための戦略だと思ってました。しかし、実際やってみるとそれだけじゃないように思います。というのも、文章にはリズムというのがあって、ドモることなくスイスイ読める文章は実に気持ちいいことに気がついたのです。思い返してみても、見た目がぎっしり詰まってるような長文を一気に読み抜いたときに感じる「あー俺こんなに読めたー」という爽快感といったらたまらないですよね。こういった経験は誰にでもあるんじゃないかと思います。そういう視点から観察すると、丁寧な言葉で書かかれた文章は文字量の割にテンポよく読めて読後の満足感が高いように感じます。
ところで、文章を読むリズムってみんな同じなのでしょうか?もちろん人それぞれで速さが違って好みも違うんだと思います。それが作家の好き嫌いが分かれる一つの要因になるかもしれません。句読点の打ち方が合わなくてスピードに乗れなくて読んでもらえないとしたら、書き手としては少し残念ですね。逆に人がどういうリズムで読んでいるかがわかれば、最大公約数的に読みやすい速度というのがわかるかもしれません。そういうデータをブラウザから取得できたりして統計をとると面白い発見があるかもしれませんね。まぁそこまで大げさなことをする必要もないですかね。
そこでひとつ思いついたのですが、書いた文章を見ることができれば、その著者が気持ちよく読めるリズムがわかるような気がします。というのも、僕は文章を書いたあと推敲しながらリズムを調整するので、僕が書いた文章は僕にとってある程度読みやすいリズムに調整されているのです。他の人たちがどう書いてるかはわかりませんけど、文章の中にはその人の思考速度や読む速度が滲み出てるんだと思います。そういった角度からお気に入りのブロガーを見ると楽しい発見があるかもしれませんね。
2008/03/14
≫ [雑感]夢の寿命
先日のことですが、僕が世話になってる福祉施設に中学生がやってきました。なんかお年寄りを大切にする気持ちを育む課外学習の一環みたいです。せっかく若い人が来たのですから「年寄りを大切に思う気持ちは40過ぎてから持てばじゅうぶんだ。若いうちは老後のことなんて考えずに自分に対して真剣に生きろ。」などと厨二病丸出しのちょーウゼー説教でも一発くらわせてやろうかと思ったのですが、福祉施設の中でそんなこと言うのはKY!KY!なんて急に日和りだして、「あー、あー、うー」としか言えなくて、一人で勝手にベッコベコに打ちのめされました。ああ、こんなことなら事前にうまい話でも考えておけばよかったですかね…。こんな僕の様子を見て彼らがどんなレポートを返してくれるのか、今からとても楽しみです。
あまりに悔しいので今からひとつ考えてみます。
やっぱり僕みたいなオッサンが若い人をつかまえたときに出る話題と言ったら夢ですよね。将来どういった人間になりたいか聞くのです。でも僕が子供のころを思い返してみても「夢」といったって結構醒めたものしかありませんでした。中学生くらいになれば十分現実を知っちゃってますよね。大人に夢の話題をされるのって結構苦痛だった記憶もよみがえってきました。そうとわかれば夢の説教なんてしない方がいいですね。この話はやめにしましょう。
夢といえば「あきらめなければ夢はかなう」という言葉を残した高橋尚子選手は残念な結果に終わりましたね。ここでいう夢がオリンピックの金メダルとするならば、彼女の夢ははかなく散ってしまったわけです。30台半ばで夢が終わってしまうなんてトップアスリートの夢はあまりに短命だなと思いました。それに比べれば文系の夢は寿命が長いのでいいですね。オリンピックに出るとかプロ野球選手になるという夢は二十歳くらいにはある程度の結果を残さないと叶いませんが、半世紀国民に愛される歌を作りたいとか、既存の常識を覆すようなウマい蕎麦を打てる職人になりたいという夢なら50年くらいは追いかけることができますから。
メディアはとかくスポーツでの勝ち負けで夢を語りたがります。子供に人気の夢がスポーツ選手なのだから勝利と夢が一緒に扱われるのは仕方がないことかもしれませんが、個人がメディアになれる時代になったわけですから、もっといろんな人に夢を語ってもらってたくさんのロールモデルができるといいですね。特に地味な夢を持ってる人たちにはたくさん出てきて欲しいですね。若者達の夢が二十歳やそこらで死んでしまわないように。
2008/03/15
≫ [雑感]!ニュースサイトの独自性と可能性
ニュースサイトDONTAKTと僕
DONTAKTというニュースサイトがあります。比較的マイナーなブログエントリを中心に紹介するというコンセプトで、僕の駄文も時々お世話になってます。ありがとうございます。以前、DONTAKTの編集後記でニュースサイトの独自性について触れていまして、すぐに僕も考えてみたのですが出た結果が気に入らなくて削除してしまいました。しかし、いくつかきっかけがあって新しい発想がわいたのでDONTAKTを肴に(つまり好き放題な放言で)1エントリ書いてみます。
DONTAKTはマイナーなブログを中心に掲載していくという挑戦的なニュースサイトです。すでにたくさんの愛好者が付いているようですが僕も密かに応援しています。なぜならDONTAKTがメジャーになればこの日記にも人が流れてくるからです(ぉぃ)。
僕が注目したいのは1年後とか2年後の姿です。おそらくその頃には(いや、もっと早くかも)DONTAKTのおかげでじゅうぶんな読者を確保できるようになったブログが出てくると思います。そのとき、はたしてそれはマイナーと呼べるのでしょうか?おそらくメジャーだと言われるしでしょう。ひょっとすると大半のソースがメジャーになっちゃうかもしれません。そのときDONTAKTはメジャーになったブログを巡回先から外して、新たにソースを確保する必要が出てきます。これはマイナーブログという縛りを入れてるサイトの宿命といえるでしょう。しかし、この宿命はむしろ喜ばしいこと・誇らしいことと受け入れなければいけません。マイナーをメジャーに押し上げる手伝いができたのですから。言うなれば卒業です。
そこで僕が思うのは、メジャーブログの定義を「DONTAKTに一定回数掲載されたブログとする」と楽しいんじゃないかということです。例えば100回採用されればそれは十分な力を持ったサイトであるとDONTAKTが認定するのです。DONTAKTがじゅうぶんに権威を持ったニュースサイトへと成長できたなら、その卒業生も十分にその権威にあやかれるのではないかと思うのです。場合によっては100回も採用されたにもかかわらず泣かず飛ばずなブログもあるかもしれませんが、DONTAKTとしてはできる限りのことはしたと思っていいでしょう。ということで、僕としてはDONTAKTの成長を願うと共に、この日記が一日でも速くDONTAKTの巡回対象から外されて、それでも独りでやっていけるようになることを願うのです。
ニュースサイトの独自性と僕の第一印象
僕はあまりニュースサイトは利用してません。だから何の知識もありません。そんな僕がニュースサイトに対して感じた第一印象は「ニュースサイトの役割は目利き」だなというところです。
つまるところ、値が上がりそうなものを安く買って高くなったら売る仲買人のようなもので、値の差額が利益とみなされて存在価値が可視化されるわけです。それをニュースサイトに置き換えるとアクセス数やブクマ数なんかの数字になります。つまり、ブクマが伸びそうなネタを拾ってこれるのが腕のよいニュースサイターということです。ところがネットはコピー(リンク)自由なので「買う」ことはあっても「売る」ことなんてありません。そうなれば誰もが当たりそうなエントリを買うので「商売」になりません。儲けせてくれる良質なエントリを連発できるブロガーを誰もが狙うようになりますから、独自性が失われるのは当然の話です。
そこで独自性を保つにはコピーの回数を制限するしかない、なんて前時代に逆戻りするようなオチになったり、いやいや、アクセスなりブクマなりで差が出るならそれを換金できるんじゃないか、そうなれば金がないのに金を産んだりできるんじゃないか、欲望のおもむくままブクマを続けるブクマ職人がブクマでメシが食えるようになるんじゃないか、誰かネット上の通貨作んないかな?グーグルヤッホー!イエーイ!などとおかしな方向で結論がでちゃったワケで、その第一印象があまりに恥ずかしいものだったので長文書いたのに削除したのでした。
#ちなみに後者の妄想は結構ガチで期待していて最近もこれを読んで興奮しまくって、それが今これを書くことができたモチベーションにもつながってます。
仲買人・広告代理店
さて、僕の妄想第一段階はここで終わってしまったのですがこれを読んで感じるものがありました。さすが真剣にニュースサイトを運営してきた人の言葉には含蓄がありますね。特に気になったところを引用してみます。
ニュースサイトには、クリックをしたくなるようなコメントを書いたり、タイトルをキャッチーなものに変えたり、紹介する位置を変えることで、リンク先を大きくするテクニックは存在する
[304 Not Modified: マイナーブログの記事を集めたらメジャーブログになれるのかより引用]
つまり平凡なエントリには付加価値をつけて紹介しようということです。これは仲買人というよりは広告代理店に近いものがあります。このスタイルは悪いほうに転んだ場合「面白そうだと期待してクリックしたのに騙された。もうまなめはうすはクリックしない!」などと自サイトの評価を下げてしまうリスクを含んでいます。こういうリスクを背負ってまで紹介したいという意欲は本当に発掘が好きな人でなければできないことなので素直にすごいと思います。
厳しいかもしれない現実と未来
ちょっと話が反れるのですがインターネットの便利さというのは膨大な情報があるにもかかわらず僅かな操作で自分の欲しい情報を絞り込むことができることです。それはインターネットを便利なものに作り上げるためにギークたちが夢中でそういう風に世界を作り上げているんだから当然のことです。検索エンジンやSBM、Yahoo pipes、あるいはPlaggerなどさまざまなフィルタリングやリコメンドツールが用意されています。同じ性質のものを選り分けるのはどちらかというとコンピュータの得意分野なわけです。そしてこの分野はエンジニアたちの注目を浴びていて日々進歩しています。実のところ僕もそういう便利ツールを開発する一人です。僕は世の中を便利にするためという名目でコツコツプログラミングを進め、ニュースサイトの住処を潰すべく努力を重ねています。僕の努力がどの程度影響を及ぼすかは別として、個人の好みに高精度にアジャストされたサービスが開発されて、24時間365日文句も言わず働き続けるとしたら人間に勝ち目はあるのでしょうか?
僕はあると思います。付加価値はコンピュータに理解できない人間だけのものだからです。もちろん付加価値をつけることができなかったサイトは次々と淘汰されていくでしょう。しかし、付加価値をつけることに成功したサイトはずっと生き延びていけるでしょう。むしろネットが便利になればなるほど価値が高まると思います。
仲買人から仲介人へ
最後に僕が考える付加価値を書いておきます。もっとも、僕は門外漢なので非現実的かもしれませんが。
先ほども書きましたが、同じ性質のものを選り分けるのはどちらかというとコンピュータの得意分野です。しかし、性質の違うものを組み合わせるのはとても苦手です。ですからネットに深くコミットしている人ほど情報や人間関係が蛸壺化していきます。これからもこの傾向は高まっていくでしょう。そして、特定分野には強いけど他はサッパリという人がたくさんでてくると、僕は予想しています。この辺は縦×横と横×縦というエントリでも少し触れているのですが、そういう人が視野を広くしたり活躍するには他分野の人との接点が必要です。例えば、「一見関連はなさそうなんだけどよく読むと水面下で地続きになっている」とか、「まったく趣味が違うんだけど尊敬するべき新たな発見がある」とか、そういう今以上に好奇心を刺激してくれる場が必要になるんじゃないかな、あるいはあったらいいな、と思います。そして、これは絶対に人間にしかできないことだなと思うのです。
ここまでいっちゃうとニュースサイトじゃないですね。でも、リンク一つで価値観の違う人たちをつなげられるとしたら、それこそ神の手ですよね。そういうサイトが誕生してくれると僕が嬉しいです。
2008/03/16
≫ [与太]ITスラング辞典
[ケの項]
- ゲイツタイマー
購入当初は軽快な動作だったPCが2年後くらいから急にパフォーマンスが落ちる現象が現れること。
サーバ用途のPCで時々再起動してやらないとパフォーマンスが悪くなること、夜中に勝手に再起動されてしまうことなどの説もある。
#再インストールはしたくないなぁ。
追記
ググってみたらこの言葉、XBoxで使われてるみたいだね。ネタ考えるのって難しいわ。
2008/03/19
≫ [雑感]愚者は歴史に学び賢者は経験に学ぶ
すいません。ただ言ってみたかっただけです。いつも通り大した内容じゃありません。
アルファブロガーあるいはギークの皆さん達はそろって「これからは情報を出した人の所に情報は集まる」「晒すことで強くなる」と言いますが、僕にはこれがなかなか実感としてわかりませんでした。しかし、僕のこの日記も以前より読者が増えたからか、最近になってやっと少しだけわかってきたような気がします。「なぜ、そうなのか」については今回は触れないことにして、今回は実際に経験することについて書いてみたいと思います。
高校の頃です。体育の時間が中途半端に余ってしまったので先生が「リフティング10回できた奴から授業終わり」と言いました。説明するまでもないと思いますが、リフティングっていうのはボールを腕以外の部位を使って地面に落とさないようにバウンドさせるゲームです。うまいグループは軒並み一発で終わらせていて、一回失敗しただけの子ですらも笑われてました。僕はというと、とても運動音痴なので何回やっても終わりません。ボールを蹴り上げてる時間より失敗して転がっていったボールを追いかけまわしている時間の方が圧倒的に長いくらいでした。見かねた上手い級友らがいろいろアドバイスをしてくれるんですが、僕にはそれが一向にわからない。やさしく蹴れと言われてもどういうのがやさしいのかわかりませんし、甲の真ん中で捕えろと言われてもボールがどこに落ちてくるか予想もできないわけで捕えようもありません。結局僕は見捨てられ、鐘が鳴るのも忘れて意地になってトライし続けて体育の先生に「次の授業があるだろ。もういいから早よ帰れ」と怒られたのでした。
このエピソードは単純に僕の経験不足でしょう。もっと練習して身体的な感覚を養っておく必要があったわけです。この感覚ってのを養うためには、やっぱり身体を動かすしかなくって、この情報と検索技術が溢れかえった世の中であってもググって30分では習得できそうにありません。何を当たり前の話をってことですよね。
まぁ、しかし、この「感覚」っていうのがとても大切なんじゃないかなと思うわけです。僕の例では身体的な感覚でしたが、他にも空気を読む感覚であったり、魚の最適な焼き加減を見切る感覚であったり、目の前の女の子がどれくらい脈ありかを読む感覚であったりと、様々な感覚ってものがあるわけです。こういう五感や感性や即時性といった感覚的なことって、まだまだ人類の叡智を頼れるようにはなりそうにありません。
今のままネットやオープンソースソフトウェアが成長していけば、いずれ素人同然でもググってコピペで「動く」ソフトが組めるようになる時代が来るかもしれません。そうなったときにプログラマが対抗できる手段があるとするならば、ググることのできない能力を身につけていくか、素人には追いつけないペースで変革を続けるくらいしかないんじゃないかと思います。新しい技術をすぐに習得できる自信がある人は好きにやってれば(webは終わった!これからは○○だ!古いものは捨ててしまえ!)いいでしょう。けど、そうでない人は今のうちにいろいろ試しておかないと苦しいことになるんじゃないかなぁと思うわけです。それが「未完成でも晒す」につながってくるわけですね。
あ、歴史について何も書いてませんでした。webの世界に限っては歴史ってあんまり参考になりませんよね。歴史の長さが云々ではなくて。MixiやYoutubeが当たるなんてネット歴が長い人ほど予期できなかったんじゃないでしょうか。ゲーム関連でもhabitatを知ってた人にとってはセカンドライフのヒットはナシだったんじゃないかと。そういうところを見ると、先進的過ぎたことが失敗の理由だったものについては、過去の失敗を知らない方が強みがあるかもしれませんね。
2008/03/21
≫ [雑感]未来はいつも予想の斜め上を行くから面白い
僕は日記を書くときにできるだけ未来を予想した内容も織り交ぜるようにしています。これといって深い意味のある試みではありませんが、
- 僕のような人が現代の「ある部分」を見ることで、将来についてどのように感じるかがわかるというのは楽しいかも
- 20〜30年後の人たちがそれを読んで「ありえねぇ、斜め上にもほどがあるwww幼稚な予想wwwプギャー」と楽しんでもらえるかも
- 個人の活動記録を書き記しておけば下の世代の人たちが僕らの世代が何を感じて何をやりたかったかがわかるかも
くらいに考えてます。
#いつの時代も親と子の世代に断絶はつき物ですからね。でも、僕らだって悪気があってこんなことしてるわけじゃないんですよ>未来の人たち
それにしても未来のことを想像するのって楽しいですよね。特に20〜30年後とかが面白い。おそらく僕の書いてることなんか、これっぽっちも当たらないでしょうけどね。未来っていつでも予想のはるかに斜め上を行くから面白いんですよ。
近未来のことについては割りと早く結果が出ますから、ときどき過去ログを読むことを習慣にしてもいいかなと考えてました。過去を振り返るなんて忘れがちですから、いっそのこと定期のタスクにしてしまった方がいいかもしれないですね。そこで毎月1日をそういう日に割り当てようかなと考えています。1日って「ついたち」って言いますが、遡日って書くんですね。遡る(さかのぼる)日だから遡日。ちょうど過去をさかのぼるわけだからちょうどいい。
せっかくですのでブログの未来について予想してみたり。
僕は実のところブログについてあまり明るい展望を持っていません。やはり時代が持つエネルギーって強い勢いで変わっていきますから。例えば、僕の親あたりの世代についてですが、彼らは貧困のために思うように勉強できなかったために勉強に対しての情熱が高いようです。学校ではその世代の英語の先生にずいぶんバカにされました。「俺達が君らくらいの頃は英語に夢中で寝る間を惜しんで、少ない小遣いやりくりして勉強したぞ。それなのにお前らときたら…タダでこれだけの教育を受けられるというのに…」もっともな言い分です。しかし、先生。あなたたちが若い頃はアメリカに夢と希望があって、英語が無限の可能性を秘めたクールなツールだったじゃないっすか。僕らにとってはそれがコンピュータなんです。僕だってコンピュータについては自腹で本買って勉強してます。
あ、少し話が逸れました。
人間というのはできないことができるようになったとき、押さえられていたエネルギーがマグマのように噴出するものだと思います。と同時に、できることが当たり前となったとき、噴出したエネルギーは底をつき、からっぽになってしまうものだと思います。僕らは今まで自分の気持ちを無数の人に対して表現する手段を持ち合わせていませんでした。僕らがインターネットという仕組みを得たとき、その情熱が爆発したのです。それがブログという文化だと思ってます。しかし、ネット上で表現できることについて当たり前と感じている子供たちはどうでしょう?表現することにそれほどの価値を見出せないのではないでしょうか、僕が勉強することについて感謝をそれほど感じることができなかったのと同じように。そして、彼らは彼らで新しい情熱を注ぎ込む対象を自分らの力で見つけていくんでしょう。
インターネットと黎明期にであった僕らは、きっと書くことを辞めないでしょう。ブログというツールがどうなるかは別にしても。だからといって、これからも書くという文化が継承(または発展)されていく保障はどこにもありません。これからブログはどういう方向に向かうのでしょうか。
それにしても未来のことを想像するのって楽しいですよね。特に20〜30年後とかが面白い。おそらく僕の書いてることなんか、これっぽっちも当たらないでしょうけどね。未来っていつでも予想のはるかに斜め上を行くから面白いんですよ。未来の人が僕の予想を気持ちよく裏切ってくれることに期待しています。
2008/03/22
≫ [雑感]モテるから気前がいいのか、気前がいいからモテるのか
ネットをぐるぐる回ってて思うのは、才能を持ってる人って気前がいいなってことです。ひょっとすると僕のただの思い違いで本当のところはすごくケチなのかもしれないけど、少なくとも僕の目にはそう見えないよう振舞ってると思います。例えばダンコガイはあちこちから冷やかされたりネタにされたりしてますけども、それで怒ったりしません。仮に僕がヒゲモジャサスペンダーデブとか聞こえるように噂されたり、ブリーフ姿のマッチョポーズでネタにされたりしたならば、きっとスルーできないだろうなーと思います。そういうのを見逃せるというだけでも太っ腹なんじゃないでしょうか。
逆に僕みたいに才能のない人はとてもケチです。せっかくコメントをもらっても「言いたかったのはそういうことじゃないし。誤読されてるなぁ」とか「そこは結論を出すために思いつきで置いた枕みたいな文なんだけど、なんでそこを持ってくかな。どうせならこっちを持っていって欲しかったのに」とか、比較的好意的な反応に対してすら細かいところにイチイチ心の中でツッコミ入れちゃったり、押さえきれずに溢れたときなんかは言い訳がましい返信をしてしまうわけです。
冷静に考えれば、僕に不利益でもない限り、読み手が誤読しようが意図してない部分に共感しようが、僕が損をすることはありませんよね。むしろ、自分の主張や一つのフレーズで何かを感じてくれて、考えたり書いたりしてくれたのなら、あちこちを巡って遠い将来に利益をもたらしてくれることだってあるかもしれません。僕の文章を消費することで気持ちよくなれるなら、それで充分じゃないでしょうか。
赦すことも立派な「与えること」だとするならば、それさえできれば持てないところから持てるところにいけるようなるんじゃないかとも思います。うーん、これも「度量」とかいう才能を持ってるからこそできるのですかね。
モテるモテないも同じような構図になるかもしれないなと考えていたら思い出した話があります。
もう10年以上前の話ですが、僕が声を掛けて集まった小規模オフ会がありました。意図したわけではありませんが、そのときは男女半々で6人くらい集まったと記憶してます。そのメンバーの中に、そのオフ会で初めて顔をあわせたことがきっかけとなって交際を始めたカップルがいました。その後、彼らは結婚までたどりつけたわけですが、僕としてはそういう運命的な出会いの一端を担えたようで、とても誇らしく自分のことのようにうれしかったことを覚えています。
その話を非モテの人に(どこかのチャットか何かで)話したことがあるのですが、意外な反応を返されました。「俺、そういうのスゲー嫌!一生、恩着せがましく言われて頭が上がらなくなるし」と言われたのです。僕としては恩を着せるつもりもなかったし、そのカップルを含めて共通の友人達にもそういう視点で話をしたこともありません。ただ僕が一人で勝手に良いことをした気になって気持ちよくなってただけです。でも、非モテの彼にとっては、その自己満足すらも許せなかったようです。自分の知らないところですら、そういう話をされる可能性があるのが許せないんだそうです。僕の価値観からすれば、そういう肴を他人に提供するだけで幸せになれるもんなら安いもんだし、本当に幸せになれたのなら周囲に冷やかされることすらも幸せを噛みしめる良い機会だと思うのです。
きっと彼には彼なりの事情があってそういう価値観ができたのでしょうから、僕はそれ以上追及せずに話を逸らしましたが、彼がそのへんのところを許せる気前のよさがあれば、もう少しモテに近づけたんじゃないかなぁとは今でも思います。
なんか今日は(も?)タイトルと本文が一致しませんでしたが、気前のよさの必要性を感じることはできたので冷静さを保てるように努めていきたいと思います。
2008/03/23
≫ [雑感]アナデジ変換と感情の流通
僕は毎日インターネットを利用していて、ネットが日々進化していることを感じています。そんな僕がインターネットのこれからの成長について思うことは、
- 今まで数値化できなかったアナログなことを巧みにデジタル化することで世の中を便利に変えていく
- アナログなことをデジタル化することなくネット上に流通させる仕組みを作っていく
という2つの流れに進んでいくんじゃないかなぁと思います。
前者については、ニュースサイトの独自性と可能性で軽く触れています。
アクセスなりブクマなりで差が出るならそれを換金できるんじゃないか、そうなれば金がないのに金を産んだりできるんじゃないか、欲望のおもむくままブクマを続けるブクマ職人がブクマでメシが食えるようになるんじゃないか、誰かネット上の通貨作んないかな?
[ぺんちゃん日記 - ニュースサイトの独自性と可能性より引用]
後者については優しさと美しさと力強さとで次のように書いています。
女の優しさは数値にできないので、報酬に反映されにくい。報酬=金は数値に変わるので男サイドの所属物といえる。女が社会で男と対等にやっていくには、優しさや美しさを数値化する単位が必要だろう。あるいは、金から脱却して気持ちよさを流通させる仕組みが必要なのではないか
[ぺんちゃん日記 - 優しさと美しさと力強さとより引用]
デジタル化についてはギークが最も得意とする分野で、たくさんのギークが世の中のありとあらゆるものを数字に置き換えています。グーグルのペイジランクやはてなのブックマークなんかは記事の信頼性を数字に変えたことで広く普及しました。*1他にはハードウェアと組み合わせるタイプなんかがありまして、カメラで撮影した顔の映像を解析して笑顔指数なんてものを出したり、笑ったときの腹の揺れを測定して笑い指数を出すなんて技術もあるみたいですね。リアルをバーチャルに落としこめたときに得られる知的興奮はギークにとって、何ものにも換えがたい喜びがあるのでしょう。その技術がお金に換えられるならなおさらのことです。web2.0がもてはやされるのは、アナデジ変換するツールさえ用意してやれば、人が勝手に集まってきて利用してくれて、その人の集まりが金になるからだと思うのです。
アナログの流通についてですが、僕はこれを単純化して「感情の流通」と呼んでいるのですが、これはちょっと僕には難しくてうまく説明できません。リアルでこれをやってるのがテレビで、その延長線上にあるのがスイーツなんだと思いますけど。これをうまいことネットに乗せられるとしたらネットの性質がずいぶん変わるだろうなと想像してます。僕がスイーツをバカにすることを大きな間違いだと思っているのは、感情をアナログのまま流通させた力はデジタル化され(て劣化し)たものよりずっと強いパワーを秘めていると感じているからです。いかにも割に合わなさそうな高価なスイーツが実際に売れている(んだよね?)のを見れば、それがどれだけの力を持っているかは想像できると思います。で、ネットでこれをうまくやっている事例はないかと探すと、2ちゃんねるやニコニコ動画だったりします。ひろゆき氏がweb2.0を自信を持ってスルーできるのは、2chの成功で感情を流通させることの強みを知ったからではないかと僕は思うのです。アナデジ変換でwebを変えたのがweb2.0なら、感情の流通でwebを変えるのはweb3.0と言えるのではないでしょうか。みんながweb2.0に夢中になっているんだから、そら、ひろゆきも安泰ですわ。
#さすがにweb3.0は煽りすぎですね。両者は方向性が違うだけで、どちらが上とか下とかはありません。
こういうことを踏まえて、僕が今興味を持ってるのは女性の社会進出を支援できるような仕掛けをネット上に作ることです*2。力や体力あるいは出産時のブランクなどで女はどうしても男に負けてしまうけど、感情(感性)については互角以上に戦えるわけですから、その環境さえ整えばそこはゴールドラッシュに沸く夢の街と化すでしょう。そんな金鉱へと目指す彼女らに僕はスコップを売りたいわけです。あぁ、今日はとても夢のある話でしたね!
*1 似たような事例は他にもたくさんあると思いますが、それは僕よりも読者の方が詳しいでしょうからみなさん勝手に想像してください。
*2 本音を言うと女性じゃなくて在宅の障害者なんだけど、立場的には似たようなもんだし。
2008/03/24
2008/03/25
≫ [雑感]デジタル化の憂鬱
ギークたちは世界のすべてをデジタル変換(数値化)することでネットの世界に落とし込もうとしています。このデジタル化は、とても明確で便利ですから、僕はいつもこの数値を参考にして行動を決めています。ところが、この数値って奴はとてもやっかいです。数値というのは、ある事象を一つの方面から観察した結果に過ぎません。にもかかわらず、数値が見えてしまうことで、表示されている数値以外の隠された価値を見落としてしまったり、数値が変化したことに踊らされて一喜一憂してしまうのです。
「ミクシィってのが流行ってるらしいよ」
そう聞いて僕はさっそくアカウントを貰ってログインしました。しかし、僕はミクシィの持つ違和感に耐え切れずに、わずか数日で放置してしまいました。その感情は今考えると「違和感」というより「怒り」と表現した方が近いかもしれませんが、とにかくミクシィが織り成す世界観を素直に受け入れられなかったのは事実です。
この日記を読んでいる人なら想像ついているとは思いますけど、僕には友達ってあんまりいません。そのことを日記でちらりと触れたこともあります。その代わりといってはなんですが、数少ない友達との付き合いの密度には自信があります。ところがミクシィのマイミクでは、本当に大切な友人と数回やり取りしただけの半分義理のような付き合いの友人が対等な「1」になってしまうのです。
世の中には友達の数が自慢な人もいます。そういう人はえてして僕のような友達の少ない人を「寂しい人」と認定して見下してきたりします。もちろん僕よりも圧倒的に人付き合いがうまくて、僕よりも広く深い交際ができる人というのはいますけれど、そういう人は友達の数なんて気にしません。本人でも気付かない間に友達が増えてるからです。友達の数を自慢して人を見下す人は友達がいないか友達との交流に自信がない人です。不安だからこそ、数字を拠り所にするのです。僕は「僕の1」が「そういう人の1」と同列にされるのがどうにも悔しかったのです。僕は大切なあの人やあの人との関係を「1」なんて数字に落とし込みたくはない。その関係には数字にできないものがあると信じているのです。でも、友人関係を数でしか見れない人には、その数字に込められた意味を理解してもらえません。僕はそれが嫌で今までずっとSNS的世界とは一歩距離を置いたところでやってきました。
しかし、こともあろうに最近僕は数字が増えたり減ったりすることで毎日一喜一憂している!
数字が嫌で背を向けた僕が、人とのつながりを薄っぺらな視点で変換した数値を、暇さえあれば気にしてる!
これが何の数値かは書きませんけど、数字っていう奴はいったいどこまで僕を追いかけてくるのでしょう。
可視化できることによって得られる利点はたくさんあります。しかし、それと同じくらいに可視化しないほうが良いことがあるんじゃないか、と僕は思います。もちろん、存在しないデータを加工することはできませんから、ギーク的にはないよりはあった方が断然よくって、いらないものは自前で削ってしまえばよい、というところでしょう。それはわかるのですが、表面的にはもっと曖昧な、例えば色の濃淡みたいな境目の見分けにくい表現方法にするとか、つねにある程度の揺れがあって正確な値は感覚的にしかわからない、みたいになっていても罰は当たらんかなー、と思うのです。
これは僕個人の印象ですから「気にならなくなるまでやり込めば良し」という意見もあるでしょうね。いずれにせよ、その数値の裏に隠されたものを見抜く力がないのなら、数字に踊らされたり呑まれたりして終わってしまうのでしょうね。いったい、何時になったら僕が数値を飲み込めるのか…。それを考えると憂鬱です。
2008/03/26
≫ [雑感]ばれやすい嘘、ばれにくい嘘
世の中にはばれやすい嘘とばれにくい嘘があります。「男は嘘をつくときすぐ顔に出るが女は出ない」とかそんな感じです。二つの嘘の違いがわかればバレない嘘をつけるし、嘘を見破れるようにもなれそうですね。
両者の違いは嘘をついている本人に嘘の自覚があるかどうかにあると思います。男が浮気の嘘を隠せないのは浮気に罪悪感を持っていて、それを指摘されたときにどう誤魔化そうかと考える、つまり自分がこれから嘘をつくぞと自覚してしゃべりますから目が泳いだりしてばれてしまうわけです。「俺の言うことは嘘じゃない」と強く自分に信じこませることができればバレない嘘をつけるようになるかもしれないな、と僕は考えます。女の浮気はばれにくいという話が本当なら、女は自分に嘘をつくのがうまいのかもしれませんね。「私は彼とは本気なの。だから浮気じゃない」なんて。僕は女じゃないからわかりませんけど。
今日は男女の与太話が目的ではありませんので、ここらへんで本題に入ります。正直に言いますと、僕はこの日記で大小織り交ぜて嘘をついているのです。小さい嘘は他人のプロフィールをぼかすとか、話を短くまとめるために話の細部を丸めてしまうとか、たぶん誰でもやっていることで他愛もないことだと思います。大きい嘘については今のうちに白状しておきますが、「僕は〜〜だと思ってます」と書いてるくせに本音は「僕は〜〜ができるような人になりたいと思ってます」だったりすることです。僕はこの日記ではポジティブで甘っちょろい話をときたま書いてますけど、本当の僕は皮肉屋で批判家でニヒリズムに溢れています。そんな僕だからこそ、「こうありたい」とか「こうであって欲しい」という気持ちを込めて言葉に乗せてしまうわけです。これは僕の願望から出た正直な気持ちですから、僕の本心でもあるわけで、嘘をついている自覚がまったくなく、よって表面から得られる情報だけで嘘を見破ることがとても難しいです(多分)。たとえこれが文章でなく面と向かった会話であっても難しいと思います。
少し言い訳をしておきますと、僕は悪気があって騙すつもりでこんな嘘をついているわけではありません。こうやって公に宣言することで、自分に向って「そうなれるように」「そうならなければいけないように」退路を絶ちつつ言い聞かせる意味もあるわけです。ちなみに、この類の嘘の見破り方は冒頭の浮気の話と違って、とても簡単です。願望っぽい話を見つけたら一歩前に出られるように背中を押してやるだけです。例えば「勇気を出せば彼女ができると思う」と言ったら「よし、ナンパに行こう!」と言うわけです(結局そっちかよ!)。それがまだ願望レベルであるならば行動に移せずに言い訳を始めることになるでしょう。まぁ、そんなカマ掛けができるのはマッチョだけですし、そんなことをしたところで嘘つき認定して傷つけてしまうだけですけど。
僕も嘘つきにならないで済むように精進していきたいと思いますけど、僕の日記を読んでうっかり背中を押されちゃった人は、僕が挫折して裏切るようなことがあっても「騙した!」なんて怒らないでくださいね。そして、マッチョな方々には、くれぐれも僕の背中を押すことのないようお願いしておきたいのです。押しちゃダメですよ!?押さないで。
2008/03/27
≫ [雑感]平行世界の僕たちと凡庸な力
僕の日記はたま〜にですが、DONTAKTというニュースサイトに掲載されます。それで興味を持って時々覗いてはクリックしています*1。それで感じたことは「お前は俺か!」と言いたくなるような人がたくさんいるってことです。僕は平凡な人なので、同じような人がたくさんいることについてはそれほど不思議じゃないと思ってますけど、そういう人の直近の数日間の日記をざっと眺めただけでも、「そのうちこういうことについて書きたいなと思っていたこと」や「つい先日僕が書いたのとまったく同じこと」が書いてあったりするわけです。それが有名で頻繁に目につくブログなら、その人の影響を知らない間に受けていたんだなと納得できるのですが、接点がない初めて見るようなブログでそれを見つけてしまうわけです。
これは喜ぶべきことか、悲しむべきことか。
「日常生活で僕とは接点がない人と平行世界のすぐ隣りで毎日を過ごしている」と考えると何やらロマンチックが漂います。ブログとして面識がなくても、流行のネタの影響などを受けたりしながら、なんとなく同じことを感じ、同じことを考え、同じことを書いているとすれば、すごく親近感が沸きますしね。こんなドンピシャな人たちの存在を今まで気付けなかったのかが不思議なくらいです。そして、こういう人たちと一緒に何かすれば、同じ価値観を持つもの同士、意気投合して大きなことを成し遂げられるんじゃないかって妙な心強さを覚えてしまったりもします*2。
一方、あまりにも多くの人に自分の意見を代弁されると自分の価値を見失ってしまう恐怖があります。これだけの人が自分と同じ意見を言ってくれるなら、わざわざ重複させて僕が書かなくてもいいんじゃないか、もう少し希少価値のある、僕だけにしか出せない出力を目指したほうがいいんじゃないか、と思うわけです。一度この不安に駆られると、立ち直るのはとても難しいです。読めば読むほど、調べれば調べるほど、ぐうの音も出ないような完璧な理屈のエントリに出会ってしまい、自信を打ち砕かれた挙句に書く気力を失ってしまって、何も出せないままズルズルと日々をすごしてしまうことになります。よほど自分の専門性に自信でもない限り、独自性の高い話など書けるわけないのです。
僕は今でもこの問題に悩まされていますけど、今のところは「僕は凡人だから賢人の真似ごとをしても良い結果にはならない。凡人は凡人らしく今の自分にできることをするしかない」と考えるようにしています。凡人が持つもっともすぐれた力は数が多いことですから、一人でも多くの凡人が自分の意見を主張して数で押していけばいいのです。賢人はこういう考えを見て衆愚だの車輪の再開発だのと言うでしょうが、凡庸な意見の中にも少しずつ「揺れ」はあるはずですから、賢人が知恵を出し合ってまとめサイト生成ツールみたいなのを作ればいいわけです。賢人はすごいものを作り出すことについては得意ですが、凡庸なものを作ることはできませんから。
僕はこれからも自分の平凡さに嫌気がさして出力することを辞めたくなることがあるでしょう。そんなときはこれを思い出して元気を取り戻したいと思います。
*1 ええ、掲載されてないか期待して見に行くんですともw
*2 僕の思い違いでしょうけど。性質の似た人同士を集めてもスキルが似通っちゃうから波風は立たなくはなるけど良質のアウトプットはできませんよね。きっと。
2008/03/29
≫ [雑感]はてなハイクを使ってマンガができないかな
100文字じゃ足りなかったので、こちらでも書くことにします。
はてなハイクでは絵を重ね合わせることで新しい画を作れるようになったそうですね。
最近、2ちゃんねるでは「やる夫で学ぶ○○シリーズ」が流行っています。ニコニコ動画でもいろいろなアニメを切り継ぎしてまったく違うストーリーに仕立てた作品が人気のようですね。とくにやる夫シリーズはストーリーさえ面白ければ、ありきたりなAAの集まりでもとても素晴らしい作品が仕上がるんだということを証明してくれました。豊富な素材さえあれば絵心がない人でも漫画に近い作品が作れるのです。
僕はハイクもニコニコも使っていない観測範囲の狭い人なんで適当なことしか言えませんけど、これらの表現方法が進化していくと素材集みたいなコンテンツの価値が上がってくるんじゃないかなぁと思うのです。やる夫の例で言うならば、たくさんのAAや背景、効果などのことです。これらのレイヤーを大きさ、場所を変えつつ、台詞をつけて重ねれば、一枚のコマにできるわけです。これを何コマもあわせてストーリーを組み立てれば作品の出来上がりです。こういった具合に「組み合わせの妙」を発揮することができれば、話は面白いけど絵はダメな人と絵はうまいけど話はダメな人の能力を最大限に活かせるのじゃないかなと思うのです。
さすがにAAをソースにしてこれを実現するのはとても手間がかかって悪手になるでしょうが、画像なら比較的容易にできそうです。こういうのがハイクでもできるんじゃないかと思うと微妙に期待しちゃいます。現在のハイクの仕様では複数のレイヤーを重ねたり、どのレイヤーが誰の作品かを追えるようにはできないっぽいけど、機能が拡張されれば面白くなるんじゃないなかぁ。
これからのwebは「みんなとの共同作業で何かを作り出す」楽しさが求められるような感じなので、こういったサービスが出てくることに期待せずにはいられないです。
2008/03/31
≫ [suisen]ブレコメ
長らく開発コード名suisenで続けてきたプロジェクトのサービス名が「ブレコメ」に決まりました。ブックマーク+レコメンドでブレコメです。
スクリーンショットはこんな感じ。

まだまだ機能不足だし、バグもたくさん残っていて一般公開できるレベルではありませんけど、人柱的な利用でよければ若干名余裕があるような気がします。募集ってわけではありませんけど、興味のある方は僕にコンタクトをすればアカウントが取れるかもしれません(何と曖昧な)。
条件はこんな感じです。
- ブラウザの閲覧履歴を送信する必要があります
- Firefox以外ではレイアウトが崩れて使い物にならないかも
- ネットワーク的にとても遅いです
- はてなのアカウントが必要です
- 絶対ダメ!悪意のアタック
そうこういってる間にまた新たなバグが見つかった気もするけど、まぁいいや。

とうさんまいご(五味 太郎)
◆ マリン [めんどくさいぞ どっちが正しいかなんて気にしてないから]